雑記

他人の不幸は蜜の味という考えが○○ッタレな考えである理由

どうも。

冬野(@mahuyu_0501)です。

他人の不幸は蜜の味って思ってる人が世の中ほとんどだと思うので、今回は他人の不幸は蜜の味について書きます。

最初に言っておくと、僕は他人の不幸を蜜の味だと思う人間は○○ッタレだと思ってる派の人間です。

他人の不幸は蜜の味について

他人の不幸は蜜の味とよく言う人がいるけど、そんな考え方をしていても自分が幸せになることは絶対ないからさっさとそんな考え方を辞めてしまったほうが良いよ。

自分が幸せでない状況で、他人の幸せを素直に喜べないというのは致し方無いけど、だからと言って他人の幸せを喜ぶというのはおかしくないか?ってことですよ。

他人の不幸をまるで自分の不幸のように悲しむ必要はないんだから別にほっとけばいいじゃないか。

SNSとか見ていると、なんかやらかして人生どん底に落ちていった失敗者に対して大衆が「ざまあwww」「メシウマwww」「やったぜ」「自業自得乙」とか言って歓声(罵声)を浴びせているけど、それって一歩引いたところから見てみたらすごい哀れだよね。

こういう醜い現実を見て僕が思うのは、世の中は幸せじゃない人間の方が多いんだろうな…ということはつまり大衆は不幸であるわけで、その大衆が自分らと同じように不幸になった人間を嘲笑うのが今の世の中のセオリーなんだなと、だから僕もいずれ人生のどん底に落ちたときは大衆から大笑いされるんだろうなと。

 

まあこういうことを言いつつも、じゃあ自分が完全に人の不幸を自分の不幸のように悲しめるかというとそうではないというね。

 

他人が幸せになって素直にそれを祝福できる人間にはまだなれそうにないなあ…

他人の不幸は蜜の味と思うのは時間の無駄

他人の不幸は蜜の味といくら思ったところで、自分が幸せになれることはあり得ない。

 

自分以外の100人の人間が不幸になっても年収1億円にはならない。

 

自分以外の1000人の人間が不幸になっても白石麻衣や新垣結衣とは付き合えない。

 

自分以外の10000人の人間が不幸になっても不老不死にはなれない。

 

自分以外の100000人の人間が不幸になっても明日生きていられる保証はない。

 

だから他人の不幸を喜ぶ理由なんてどこにもないんだ。

 

そういうことだから、「他人の不幸は蜜の味だぜ!いえええい!!!」とか言ってる暇があったら、自分が幸せになるために少しでも行動したほうが有意義に過ごせるんじゃないかと僕は思うよ。

他人のことを気にせず生きる方法

いくら詭弁を並べても人は結局のところ他人の目を気にして生きているから、他人がどうなろうと知ったことではないと言い切れる人間は少ないと思う。

 

例えば、自分とほぼ同じスペックの人間がいたとしてそいつだけ優遇されて自分は雑な扱いされたらイラっとするでしょ。

これに共感できる人は少なからず他人を気にして生きていることは間違いないよね。

 

自分は自分のペースでやればいいとは口だけで、結局のところみんな他人と足並みそろえて進んでいきたいんだよ。

こういう世の中の真理が嫌になった僕は、長年の修行の末に対人恐怖症を克服し、他人の目をほぼ気にせずに街中を歩けるようになった。

 

とは言え未だに視線だけはどうしても苦手で人と目を合わせるのは難しいんだけどね…

自分の人生なのに他人のことばかり気にしすぎ

やっぱりネットとか見ててもそうだけども、みんな他人のことを気にし過ぎてるんだよね。

世の中は何の関わりもない相手がほとんどだっていうのにみんなそういう無関係の人にばっかり興味を示していちいち口を出すからね。

 

ドルオタとかアニオタとかもそうだけど、画面の向こうにいる自分と何の関わりもない人間やキャラクターに干渉している暇があったらもっとリアルのこと考えて生きろよ!って思う。

 

だって画面の向こうにいる憧れのアイドルやアニメキャラクターの中の人はリアルで充実した生活を送ってる勝ち組ばっかりなんだぜ?

他人の不幸は蜜の味とか言ってる自分らとは全く違う華やかな世界の住人なんだから、そんな人たちの行動や発言にいちいち反応してても仕方ないよね。

 

と、画面の向こうの人にガチ恋しちゃってる自分が言ってみる。