雑記

【反出生主義】子供が生まれて「おめでとう」なんて言ったことない

どうも。

冬野(@mahuyu_0501)です。

以前からよく反出生主義について考えることがあって、Twitterとか見てても結構このことについて議論されているみたいだから、いい機会だしブログの記事にしてしまおうと思ってこの記事を書くことにした。

 

出生主義の人もそうだし、そもそも出生とか反出生とか考えたことないという人もぜひこの記事を読んでいろいろ考えてみてほしいと思う。

 

かなり真面目な記事になると思うから、そういうのあんまり興味ないという人は別に今見なくてもいいんだ。

 

でも、人生において一度はこのことについてしっかり考えたほうが良いから、そのうち気が向いたらまた見に来てくれよ。

反出生主義とは

「生きることそのものが苦しみであるのでそもそも生まれてくるべきではない」、「この世に生まれる子供のことを思えば子を産むべきではない」といったような、人がこの世に生を受けることそのものを否定する厭世観的な考え方が反出生主義である。なお生まれることが子供にとってではなく道徳的に悪いとするなど細かな考え方の違いはある。

つまるところ反出生主義とは、人生は苦しいことが多いし、幸福の多い人生だったとしても最後には死の苦しみを味わうことになるが、生まれないことによってこれらをすべて回避できるから、人は出生すべきではない、という考え方である。

また、この考え方によって飢餓、環境問題、資源問題などを解決することができると考えている支持者もいる。アメリカの環境保護団体「VHEMT(自主的な人類絶滅運動)」は、反出生主義を掲げて人口を減らし、最終的に人類を絶滅へと導くことを是としている。
(ただしVHEMTは殺戮や自殺(教唆)は否定している。彼らによれば、それらは不道徳であるし、死亡率の上昇は出生率の上昇を招くため人口減少にはつながらないという。)

https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%8F%8D%E5%87%BA%E7%94%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9

反出生主義と優生主義は違う

反出生主義を始めて知った人間や出生主義の人間はよく優生主義と反出生主義を同じものだと誤解する。

しかし、それは間違いであり、反出生主義というのは優生主義のように優れた人間のみ子供を作り育てるべきというものではなく、優れているとか劣っているとか関係なく子供を作るべきではないという考え方である。

反出生主義に対する自分の考え

反出生主義になる人間というのは大抵なにかしらのきっかけがあって反出生主義になるのだと思う。

特に、現在この世界では反出生主義という思想を持っている人間は圧倒的少数派なため、特に意識せず暮らしている人はなかなか反出生主義になることはないし、そもそもそんなことを考えること自体しないまま一生を終えるのだ。

 

自分はどちらかというと反出生主義寄りの考え方だけど、反出生主義を主張しているの人を見ていると割と疑問に思うこともあったり、それは違うんじゃないのと思ってしまうこともあるため、完全に反出生主義者であるかと聞かれれば違うと答えよう。

人生は理不尽だから反出生主義になるのは自然

世界人口が70憶人なので、当然それらすべての人々が自分の望む人生をおくることはできないし、それどころか苦しみだけを感じて一生を終えていく人間も大勢いる。

 

このことに気づいてしまった僕は、自分が幸せだとか生まれてきてよかったとかほざいている人というのは、こういった厳しい現実から目を背け、自分が幸せになれればそれで良いという自己中心的な考えを持っているどうしょうもない奴らなんだと思ってしまった。

 

幸せな奴が偉くて不幸な奴がゴミなのではなく、幸せを感じて生きていながら、不幸な人間のことを何も考えられない奴がゴミなのである。

 

人生・世界というものがこれほど理不尽なものであるからには反出生主義になるのも無理はないのではないかと思う。

授かり婚を祝う世間はおかしい

「この度結婚を発表した女優の〇〇さんのお腹には、妊娠数ヶ月の赤ちゃんがいて…」とかいうニュースを見たことは何度かあるけれど、そういうニュースがあったときに、同時に報道される世間の声が「おめでとう!」「幸せになってください!」とかしかないのがものすごく疑問だった。

 

普通に考えて授かり婚なんてなんの対策をせずにピロピロピロをしまくった奴らがほとんどなんだから。

 

なんの計画性もないまま、とりあえず子供ができたから結婚するみたいな感じの軽い気持ちだから授かり婚とかするんだよ。」

 

この「とりあえず子供ができたから」で生まれてくる子供が将来引きこもりになったり犯罪者になった時おまえらどうすんの?まさか指〇めるくらいで責任とれると思ってないよな?

 

と、僕は授かり婚に対して非常に否定的な意見を持つものなので、この点に関しては反出生主義者とまったく同じ考え方であると思う。

DQN親子を見て腹が立つ自分は反出生主義者か?

街を歩いていても度々見かけるDQN親子。

 

子供が周りに迷惑なことをしているのに全然注意しないで自分らはタバコ吸って携帯弄ってるだけ。

そんで見かねた周りの大人が子供を注意したら「ああん?なんやワレエ!!!やっちまうぞコラ!!!」と逆切れするDQN親はもう救いようがないよね。

 

こういう親はまともに教育なんてしてないし、それどころか悪い大人代表としての姿をずっと子供に見せ続けるわけだから、その子供も将来的にDQNになる可能性が高いんだ。

 

こういうのを見るともうね…腹が立つんですわ。

アホンダラ!!!!言うとこよ?

まあヒョロガリ陰キャの自分ではなかなか直接文句を言うのは難しいんだけど、いつかは堂々と注意できるようになりたいと思ってるよ。

 

で、実際こういうことがあるとお前ら子供作るなよ!って思っちゃうわけだけど、これってよく考えると反出生主義というより優生主義に近いのではないだろうか。

生まれないことですべてが解決すると気づいた

いじめられたり、恋人にフラれたり、会社をクビになったり、事業に失敗して借金を背負ったり…とにかく人生というのはいつどんな苦しみが自分にやってくるかわからないものなんだ。

 

このことに気づいてしまった僕は、それらの苦しみもこの世に生まれていなければ味わう可能性が0だという結論を導き出してしまった。

 

こういうきっかけで反出生主義者になる人は多そうだよね。

始まりがあれば必ず終わりがある

始まりがあれば終わりがあるというのはもはや世の中のありとあらゆるものに適用されている常識中の常識なわけです。

で、あるならば、当然人生にも始まりがあって終わりがあることになる。

 

まあ簡単に言うと生まれてそのまま永遠に生き続ける人間なんていないってことよ。

 

人の命を勝手にこの世に引きずり込むということは、同時にその人にシケ宣するようなものなんだよ。

それが1年なのか50年なのか80年なのかはわからないけども。

 

だから人をこの世に生み出すのも人をこの世から始末するのも広い視野で見れば同じくくりに入るんじゃないかと思うわけです。

「おめでとう」なんて絶対に言ってたまるか

僕は、他人が結婚して、子供が生まれたときに「おめでとう」と言って祝う風潮が大っ嫌いなんだ。

結婚を祝うのは分かる。人生を共にできるパートナーと結ばれたんだから、普通に素晴らしいことだと思うよ。

だけど、出産を祝うのってヤバいよな。

子供を産むという行為がどれほど残酷なことか知っていたら口が裂けても「おめでとう」なんて言えないはずだ。

 

僕の場合はまだ身近な人間が出産を経験していないから、そういう場面に遭遇したことはないけど、例えばこの先友人とか親戚が結婚して子供を産んだ場合、何が何でもおめでとうなんて言わない。

かといって説教したり文句を言ったりするわけでもなく、「責任もって育てろよ」とか「幸せにしてやれよ」とか言うセリフでその場を乗り切ろうと思う。

 

なぜなら反出生主義というのは既に誕生した命を否定するわけではないからね。

 

それにしても、子供が生まれて「おめでとう」というのが嫌だと言うとやっぱり多くの人から批判されるだろうから反出生主義にはなるべきじゃないのかねえ…

最後に

反出生主義を知ったおかげで、世の中のいろいろなことに対する見方が変わったし、結婚や出産という結構シビアな話題についても真面目に自分の意見を言えるようになったため、個人的には義務教育の段階でこういうシビアな部分についても生徒に考えさせるべきだと思う。

 

ただ、最近Twitterや5chなどで行われている反出生主義者と出生主義者議論を見ると、お互い自分の主張をかなり押し付けている部分が見受けられるから、僕はそこだけは賛成できないね。

 

反出生主義も過激派になるとただの迷惑行為になっちゃうから、まずは自分が子供を作らないように心がけるところから始めて、他人に思想を広めていくにしても強制するのではなく「こういう考え方もあるんだよ」ってくらいにしておいたほうが良いと思う。

 

もちろん妊婦を誹謗中傷したりするのも論外。

 

僕は子供が生まれて「おめでとう」とは口がさけても言わないけど「ふざけんな」とも絶対言う気はない。

既に誕生した命であるならその命のために最大限尽くすのが親の役割だと思うので、もし今後知り合いが結婚して子供を授かった時には「どんなことをしても子供を幸せにしろよ」と、ただそれだけ言おうと思っている。